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東日本大震災魚食文化の危機 漁業再生はオールジャパンで 建築家 重村力...

■題 名 東日本大震災魚食文化の危機 漁業再生はオールジャパンで 建築家 重村力
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(産経)
■概要 . 復興に際し、高所移転が論じられ始めた。高所移転で有名な旧三陸町(現大船渡市)の白浜集落や吉浜集落では、昨日のことのように過去の津波について語る。
 世代が変わるうちに、津波の脅威が時を経て忘れ去られ、不便な高所から低地に戻ったところもある。山田町船越の田ノ浜集落は、高所には整然とした家並みが50坪に区画され立派に残っていたが、手前の低地は瓦礫と化していた。
 今回は、防潮堤を津波が越えたばかりではなく、多くの防波堤、防潮堤が壊れたが、岩手県普代村では、ほかの地区とはまったく違う15.5メートルの防潮堤を村独自の工夫で造り、見事に村を守った。ほとんどの海辺の集落では丘にある神社につながる道が避難路になった。
 津波の教訓を無駄にしないために、被災を集落ごとによく検討し、安全と漁村の繁栄に向けた復興の方向性を集落の地形に即して見出す必要がある。三陸集落の津波の教訓は実は日本全国の沿岸漁村への教訓でもある。津波に立ち向かう海辺の村が日本人の魚食文化を支えていることを忘れてはならない。
■タグ 産経 コラム 重村力 高台移転 大船渡市 白浜地区 吉浜地区 山田町 田ノ浜地区 普代村 防潮堤 避難路 漁村 地形 魚食文化
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