トップ > 日本大震災復興計画情報ポータルサイト > 登録情報
東日本大震災復興計画情報ポータルサイト(特設サイト)
|
【復興へ課題を探る】 集団移転住民が知恵 中越地震で被災 長岡・小千谷市...
■題 名 | 【復興へ課題を探る】 集団移転住民が知恵 中越地震で被災 長岡・小千谷市 | ||
■日 付 | 1899年12月31日 | ■大分類 | 新聞等(朝日) |
■概要 | . 長岡市の旧川口町の小高集落は国の防災集団移転促進事業を利用して山あいから約4キロ離れた町中へ18戸が移転した。5月末、宮城県気仙沼市舞根(もうね)地区の畠山孝則さんらが、集団移転の経験を尋ねに小高集落にやって来た。当時、小高集落のリーダーとして移転をまとめた角張洋治さんは「みんなで役場に押しかけると混乱するから、少人数で相談に」といったアドバイスをした。 (二重ローン重荷) ただ、集団移転には課題もある。移転先の小高集落で1軒分の空き地が今も残る。二重ローンの負担を嫌い、途中で移転を断念した石坂富雄さんの区画だ。石坂さんは被災当時1500万円のローンがあり、自宅も全壊認定を受けたが修理すれば戻ることができた。災害危険区域に指定された旧小高地区に1軒残り、今も家族3人と一緒に暮らす。 同区域では、住宅の新築はできないが、すでにあった家に住み続けることはできる。かつては都市ガスが引かれていたが復旧せず、電気給湯器を設置した。水は井戸水を引いた。 (「戻る」選択肢も) 小千谷市も山あいの集落63戸が集団移転促進事業を利用した。ここは集落全体の移転ではなく、残る住民も多かった。小千谷市では、移転を希望する世帯周辺だけをまだらに災害危険区域に設定し、補助を使えるようにした。 旧山古志村(長岡市)は集団移転促進事業を使わなかった。村職員として復興プラン作りを担った青木勝さんは「集団移転促進事業は別の場所に移ることを前提にしていたから」と説明する。青木さんは「小規模住宅地区改良事業」を被災地に応用した。集団移転に比べ自治体負担は増えるが、その場に戻ることを優先した。 青木さんはこう指摘する。「東北の被災者の方も、漁村部の方は仕事場である海の近くに残ろうという方も出ると思う。サラリーマンが多い都市部と漁村部ごとに計画を練っていかないといけない」 |
||
■タグ | 朝日 防災集団移転促進事業 集団移転 長岡市 小高集落 気仙沼市 舞根地区 二重ローン 小千谷市 旧山古志村 小規模住宅地区改良事業 | ||
■関連URL | |||
■添付ファイル | |||
■管理番号 | No.01144 |