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【魚の町から石巻復興物語】ハードルを越えて (上)市場再開まず「仮営業」/(中)腹くくった...

■題 名 【魚の町から石巻復興物語】ハードルを越えて (上)市場再開まず「仮営業」/(中)腹くくった設備投資/(下)生活つなぐ職探し
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(日経)
■概要 . セリ声は戻った。7月12日に再開した宮城県石巻市の魚市場は、全国第3位の水揚げ量を誇った以前の姿を取り戻すための最初のハードルを越えた。しかし、漁港を中心に結びついた「魚の町」が負った傷は深く、市場や水産加工会社、解雇された従業員らの再起への歩みはまだら模様を描く。

■魚の町から石巻復興物語 ハードルを越えて(上) 市場再開まず「仮営業」 水産業再起へ支え合い @日経新聞(2011.8.1)
 石巻にはあせりがあった。4月に塩釜、6月に気仙沼と県内の有力漁港が次々と水揚げを再開する中、再開日は7月の声が聞こえてもなかなか決まらなかった。出遅れの理由は被害の大きさ。外洋に開かれた地形のためか、本港は岸壁が約70センチ沈下しただけでなく、長さ約600メートルの荷さばき場の上屋も倒壊。復旧工事の完了は、当初から早くても8月中旬とされていた。
 しかし、漁船が無事だった漁師、倉庫の仮復旧を済ませた鮮魚卸らから市場の早期再開を求める声が日に日に高まった。一方で、被災した水産加工業者などからは「魚の受け入れ態勢が不十分」といった意見もあり、再開への足並みが必ずしも一致していなかった。
 転機は、7月4日に開かれた水産復興会議の部会。「取引のあるイカ釣り漁師が11日にも漁を再開したいと言っている。市場を早く開けてくれ」。回船問屋の社長のしびれを切らしたような声に押されるように復旧工事完了より1ヵ月以上も早い開業を決断した。
 再開後、岸壁にはセリの始まる1時間以上前の午前5時半すぎから30人以上の水産関係者が集まり、そこかしこで話の輪が広がる。
 立ち遅れる水産関連業者同士の支え合いも生まれ始めた。2010年に年間約13万トンあった石巻の水揚げの7割以上は加工向け。「背後地の加工業が回復して購買力が戻らなければ、将来的に各地から集まる漁船の石巻離れを招きかねない」(市水産課)との危機感も出ている。養殖用の餌を製造する石巻魚糧工業の社長、稲井幹男さんは、早期の営業再開を希望する他社への工場貸し出しを決めた。餌製造に不可欠なボイラー調達などには、半年以上かかる。加工後の魚肉の残りを利用する稲井さんにとって、魚をめぐり支え合う業者の立ち直り支援でもある。「魚が石巻に来なくなって困るのは、ここにいる我々全員だ」

■魚の町から石巻復興物語 ハードルを越えて(中) 腹くくった設備投資 卸・加工、ゼロから挑む @日経新聞(2011.8.2)
 漁業との両輪になる水産加工業が再起に向け苦闘している。石巻商工会議所のアンケートでは、回答した水産加工会社61社のうち30社が「工場や事務所の再使用は困難」、11社が「ほぼ流失し残っていない」と回答。市によると、設備投資への不安や資金繰りの厳しさから5社が廃業を決めている。
 復旧を急ぐ業者は「公的支援は当てにできない」と腹をくくるが、再開後も難題が待ち受ける。「高橋徳治商店」の本社工場では連日、従業員ら約10人がモップやたわしで清掃を続ける。約1億3000万円を投じ、被災工場内にクリーンルーム仕様の仮設製造ラインを作る計画だが、社長の高橋英雄さんは「いつまで使えるかは分からない」。魚町から約700メートル離れた工場は建築制限のかかる区域。製品供給が止まった状態が長引けば、取引再開は困難になる。しかも11月以降に固まる一連の復興計画次第では、将来的に立ち退きを求められる可能性もある。高橋さんは「待ってはいられない」と設備投資を決めた。
 切り身加工や冷凍水産物卸の「スイシン」は魚町の冷蔵庫、加工場などが全壊。来春の新設を目指し、解体を進める。その一方で市内のホヤ加工業者など2工場に業務委託や場所を借り、生産を再開した。社長の横山隆さんは「少しでも早く商品を出さないと顧客を失いかねないと思った」と説明する。
 卸業者、加工業者、不要部分を餌に加工するフィッシュミール業者、製氷業者……。水産関連会社の集積こそが「魚の町」の強みだった。将来の復活を見据えた今、それぞれの思いを抱えた苦闘が続いている。

■魚の町から石巻復興物語 ハードルを越えて(下) 生活つなぐ職探し 経験生かせる日待つ @日経新聞(2011.8.3)
 七十七銀行の推計では、石巻市内では被災で就業人口7万7千人のうち、最終的に約3万3900人が職を失う恐れがある。一部の水産関連会社では再雇用の動きが出始めたが、仮復旧の進捗に合わせた採用のため、あくまで部分的だ。
 八ローワーク石巻によると、6月の石巻周辺の有効求人倍率は0.37倍と前年同月比で0.01ポイント好転している。しかし、その構図は失業した被災者の求職と、復興工事関連の求人とが均衡しているにすぎない。復興関連の求人は短期が多く、ハローワークは「水産など地場企業の復旧なしに安定した雇用環境は戻らない」と指摘する。
 タラなどのすり身加工会社を解雇された男性は5月以降、市の臨時職員として「石巻斎場」で働いている。元の勤務先は津波で魚町の本社や工場、倉庫が全壊して廃業を決めた。昨年末に転職、3月初旬に正社員になったばかりで、失業手当の給付は対象外だった。期限は10月末。「そろそろ次の仕事を探さなければ」と表情を引き締める。
 臨時雇用や失業手当で生活をつなぎ、勤務先の復活を待つのは被災地の生活を維持する知恵ともいえる。ただ、住民が待ち望んでいるのは、これまで培った技術や経験を生かした水産業の町の復活だ。がれきに埋もれ、岸壁が水につかった魚市場も、ささやかながら再開した。それぞれの歩みはいずれ、町全体の復興につながっていく。
■タグ 日経 コラム 石巻復興物語 石巻市
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