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3.11大震災 日本試練の半年

■題 名 3.11大震災 日本試練の半年
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(日経)
■概要 ◇がれき処分場 建設に住民不安
 今回の震災で発生したがれきの処理は既存の焼却施設では処分しきれず、新たな専用の処理場が必要になるが、一部地域では住民の反対もあり、最終処分への課題も残る。
 環境省のまとめによると、岩手、宮城、福島3県のがれきの総量は推計2304万9000トンで、阪神大震災の1477万2000トンの約1.6倍にのぽる。県別では宮城が1569万1000トン、岩手が507万8000トン、福島は228万トンと見積もられている。
 9月になっても1次仮置き場に運び込む段階。環境省によると、搬入済みの割合は岩手が73%、宮城が50%。岩手は6カ所、宮城は7ヵ所に分別したがれきの2次仮置き場を設ける。
 放射性物質の付着も懸念される福島は撤去作業が難航。原発から半径20キロ圏内の警戒区域内では高放射線量の恐れがあり、作業は手つかずで、仮置き場に搬入したのは43%にとどまる。環境省は8月31日に、放射性物質を含むがれきの焼却灰の処理の指針をまとめた。

◇「仮設住宅はいつ」疲労濃い避難所
 内閣府のまとめによると、避難所での生活者数のピークは発生直後の3月14日で岩手、宮城、福島の3県で40万9146人。その後、自宅に戻る被災者も多く、3県の避難者数は2週間後に21万6963人と半減。4月からは仮設住宅の入居も始まり、震災発生から2ヵ月後は9万4199人、3ヵ月後は6万7073人になった。
 直近では、岩手県は8月31日までにほぽすべての避難所を解消したが、宮城県は石巻市や気仙沼市、女川町など7市町の計2853人が避難所で暮らす。県内でもっとも避難者数が多いのは女川町の総合体育館で137人が震災半年後の今もなお避難生活を送る。
 国土交通省によると被災者から要望のあった仮設住宅は、岩手、宮城、福島、茨城、千葉、栃木、長野の7県で計5万2340戸。このうち、5日までに完成したのは4万9124戸で宮城県と福島県の計3216戸が未完成。宮城県で被災者から要望のあった仮設住宅は2万2041戸。このうち石巻市と気仙沼市、名取市、女川町の計789戸は建設工事中。宮城県沿岸部は津波の心配がないまとまった高台の土地が少なく、用地選びに手間取り着工が遅れた。一部の仮設住宅の入居率の低さも課題だ。気仙沼市は用地不足から隣の岩手県一関市に330戸を建設したものの入居率は3割。気仙沼市中心部から約20キロ離れ、生活に不便なためだ。
 福島県は深刻だ。5日時点で、福島県全体での必要戸数1万6000戸に対して、2427戸が未完成。必要戸数が2673戸と県内最多のいわき市は完成率が63%、南相馬市も必要戸数2134戸に対し完成したのは75%にとどまる。福島県の担当者は「県外避難者からの追加の要望が多く、建般に時間がかかった」と説明する。南相馬市は市の一部が警戒区城に指定されているため、土地の確保にも難航している。
 2010年の国努調査によると被災各市町の高齢化率は岩手県陸前高田市の34.9%を筆頭に、全国平均の23.1%を上回る自治体が多い。宮古市の仮設住宅で暮らす男性は「年金生活者なので自宅を再建する資金がない。2年で仮設住宅を出るのは無理だ」と話す。

◇動き出す自治体の復興計画
 岩手県は8月に策定、宮城県も9月の県議会に計画案を提出する。市町村でも住宅の集団移転などを盛り込んだ計画がまとまり始めた。岩手、宮城はそれぞれ300以上の事業を盛り込んだ。宅地の高台移転を支援し、道路や鉄道のかさ上げなどで津波への抵抗力を高める。
 住宅移転では国の財政支援の詳細が見えず、年内策定を目指す市町村の復興計画づくりは遅れ気味。宮城県女川町は住宅地を高台に集約する方針だが、漁業者の反対か強く、調整を急いでいる。新エネルギーの導入に関しては、同県岩沼市や岩手県陸前高田市は太陽光発電施設などの誘致を盛り込む、同県久慈市はメタンハイドレートの利用を検討する。
 福島県は復興計画を12月にまとめる予定で、市町村の策定も遅れている。既に案をまとめた相馬市も、国や県の動きを見ながら内容を随時見直す。

◇知を結集し歴史の教訓に
 悲劇の再来をどう防ぐのか。仙台の仮設住宅に住む在野の津波研究家、飯沼勇義さんは「伝承、民間資料の分析から、仙台平野にはほぽ180?220年周期で津波が来襲することがわかった。今こそ歴史の教訓に学ぶべきだ」と訴える。16年前に「仙台平野の歴史津波-巨人津波が仙台平野を襲う」という著書で警告したが、行政や学界からは無視され続けた。
 東北沿岸の多くの伝説から貞観津波を記す日本三代実録など古文書まで丁寧にひもとく。体系立てて分析すれば相当の手掛かりが得られる。それを現代科学の知と突き合わせ、新たな町づくりや復興に役立てる。学際的な“歴史津波学”が必要だ。
 大地震・津波、原発事故の教訓をまとまった形で未来に発信するには、政治のけん引力か要る。被災地の人々は国、自治体の責任者が今回の反省に立ち、腰を据えて中長期の体制づくりに取り組むよう求めている。
 
◇原発誤算 また誤算 放射能・汚染水・・・難題の泥沼 来年初め冷温停止めざすが・・・廃炉作業は何十年も

◇風評いつまで忍ぶ
 福島第1原発事故は、日本の経済と社会を大きく揺さぶった。その一つが放射性物質の拡散を心配して起きる風評被害だ。買い控えは安全とされる野菜や水産物、牛肉などに広がり、海外に輸出する工業製品にまで影響が及んだ。

◇交通網早く隅々へ
 道路や鉄道など交通インフラは確実に復旧が進んでいる。東北新幹線は9月23日に一部区間の徐行運転を解除し、被災前の通常ダイヤで連行を再開する見通しだ。しかし、幹線道路や鉄道路線とは対照的に地方道や沿岸部の鉄道ではなお不通区間が残る。津波の直撃を受けた港湾では使用できないままの岸壁も残るなど、復旧作業は遅れが目立っている。

◇盛り返す東北消費 見せた「オール日本」
 生産や小売りなど、企業活動の最前線に急速に活気が戻り始めた。ライバル企業同士が協力し、従業員は知恵や力を粘り強く集めた。サプライチェーン(供給網)が当初の見込みより早く復旧。自動車などでは震災前の生産水準回復が現実味を帯びる。ただ福島第1原子力発電所の事故で大きく傷ついた中小企業や地場企業の中には、被災した拠点に戻ることすらできないところもある。

◇教訓必ず時代へ 復興構想会議議長代理 御厨貴氏
 当時の菅直人首相が設置した政府の復興構想会議が6月下旬に提言をまとめてから既に3ヵ月近く。議長代理の御厨貴東大教授に震災後の政府の対応に関する評価や復興への課題を聞いた。
(菅前政権の対応、復興への取り組みをどう見ますか?)
 菅さんの対応は後手に回った。とにかく遅すぎた。復興構想会議に任せたら、結諭が出るまで何もせず、2ヵ月半を無駄にした。5月の連休前に復興の目玉を出していればずいぷん違ったはずだ。すべてが想定外だった点を考慮しても、評価は合格点に届かない。津波と原発事故には全く手が出なかったというのが事実だろう。
(復興構想会議の提言とりまとめで苦労した点は?)
 菅さんの指示が一切ないまま始まり、我々は一体何をどうしたらいいのか、というところからスタートした。会議の委員も実務に詳しい人たちではなかっだ。専門家だけを集めれば、もう少し早くまとまった。
(提言から3ヵ月近くが経過しましたが?)
 提言後、政府方針の決定に1ヵ月かかったのは遅過ぎる。その後の報告もなく、委員の中にいらだちが募っている。新政権になったので状況を報告してほしい。補正予算への期待が現地で膨らむ一方、報告できるだけの内容が(政府側に)ないのではないかと疑っている。
(震災対応について野田政権の人事をどうみますか?)
 原子力、エネルギー問題はもう少しオープンに議論する態勢になると期待するが、民主党は案件を抱え込みがちで、外で議論しようとしない。
(民主党政権は復興へどんなメッセージを出すべきでしたか?)
 絶望的状況でも、この国をどうするのかを宣言として示すのが大事だが、全くない。海外の一番の心配は、日本は放射能の問題でだめになるのではということだ。悪い事実も含めて最初に明らかにし、日本という国家への信頼を取り戻すメッセージを出していたなら、後に外国から責められることはなかった。
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