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【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 5-9...
■題 名 | 【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 5-9 | ||
■日 付 | 1899年12月31日 | ■大分類 | 新聞等(岩手日報) |
■概要 | . 東日本大震災から7ヵ月余りがすぎた。各市町村は本格的な復興へと軸足を移し、まちづくりの基本となる復興計画の策定を急いでいる。復興計画策定の課題を探る。(この企画は9回続き) ■【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 5)新エネルギーの可能性 脱原発の機運追い風 @岩手日報(2011.10.28) 洋野町と県、久慈市は9月から、洋上風力発電の事業化に向けた風況調査を行っている。福島第1原発事故を契機に新エネルギーが見直され、同町の強風に「資源」としての期待が高まっている。そのほか、県は沿岸南部に浮体式の風力発電など海洋エネルギーの試験場誘致を目指し、東京大などの研究者グループとの協力関係構築を急いでいる。陸前高田、大船渡、住田の気仙2市1町も大規模太陽光発電施設の整備やリチウムイオン電池工場の誘致などを掲げ、復興特区の指定を目指している。 自然エネルギーに恵まれた本県の被災地。しかし東北電力が送電をほぼ独占し、他地域との電力融通もあまり行わなかったため、新たな電力需要が生じにくく、天候による発電量の変化への対応力も小さかった。だが、日本大生産工学部の長井浩准教授は「原発事故を契機に発電と送電の分離が議論されており、実現すれば首都圏など大消費地で東北の新エネルギーを使える可能性がある」と指摘する。何より国民が新エネルギーヘの転換を進める方向へ動きだすことが、被災地の復興に新たな可能性を広げていく。 ■【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 6)奥尻島ルポ(上) 港、低地、高台の3層 @岩手日報(2011.10.29) 1993年の北海道南西沖地震で津波の被害を受けた北海道・奥尻島。東日本大震災で被災した本県への教訓を探り歩いた。 松江地区。防潮堤は海抜10メートル。宮古市田老の防潮堤のような圧迫感はない。居住地側を盛り土し2〜5メートルの高さしかないように見えるからだ。 島の最南端の青苗地区。海抜11メートル超の防潮堤を海岸から見上げると、島が海に浮かぶ要塞のように感じる。海抜6メートルの防潮堤と同じ高さまで盛り土した低地の旧住宅地は180区画(1区画231平方メートル)に整理され、道沿いに住宅や商店、公共施設が並ぶ。背後にある同約20メートルの高台には55区画の住宅地が形成された。港、盛り土された低地、高台の住宅地。3層構造のまちに生まれ変わった。 どこに住むかは住民の選択に任され、盛り土した低地には漁師らが住宅を建設。高台は83年の日本海中部地震でも被災し住宅建設を禁止された南端の岬地区の住民が集団移転した。港には人工地盤と呼ばれる高さ6.2メートル、幅31.9メートル、長さ163.5メートルの避難広場を造り、住宅地の背後には10本の避難路を整備。高台へ5分以内に逃げられる環境となった。 ■【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 7)奥尻島ルポ(下) 町悩ます過疎、高齢化 @岩手日報(2011.10.30) 1993年の北海道南西沖地震の津波被災から5年。北海道奥尻町は98年、「完全復興」を宣言した。一方、復興事業に伴う膨大な起債が町財政を圧迫。巨大堤防では食い止めることができない、少子高齢化や過疎化など構造的な課題も町を悩ませる。 町は190億円という巨額の義援金で133億円の復興基金を造成し、73項目の復興支援事業を展開。一方、復興事業費763億円のうち、町負担分の158億円か町財政に重くのしかかった。被災前の92年度に39億円だった町債残高は、98年度には94億円にまで膨らんだ。 人口の減少傾向も続いている。津波による人口流出はなかったが、町人口は60年の7 900人をピークに震災当時4700人、今年8月末現在では3154人にまで減った。高齢化率は30%を超し、毎年、地元高卒者約25人は進学や就職でほぼ全員が島を出る。高齢化は防災対策の見直しも追っている。低地から5分以内の高台避難を目指し、42力所の避難路を整備したが、階段やスロープが急で高齢者の利用が難しくなっている。新村町長は「高齢化対策に取り組んでくるべきだった。建物などもコンパクトに造る必要があった」とする。主要産業の漁業を取り巻く環境も厳しい。 本県の被災地も少子高齢化や過疎化が進行し、漁業者も減少の一途。今、数十年先を見越したまちづくりを考える上で、奥尻の18年は貴重な教訓となる。 ■【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 8)宮古・田老「百年の計」 構造的課題を解決を @岩手日報(2011.10.31) 田老の巨大防潮堤は村制時代の1934(昭和9)年着工。国は高台移転を指示したが、村には約500戸に上る住家の移転地がなかった。巨額工事費を理由に反対する国に対し村は単独事業を決断。その後、県事業に移行し58年に完成。79年までに二つの防潮堤が加わり総延長2433メートルのX型となった。ソフト対策も進め2003年、津波防災のまちを宣言した。 その地元・田老住民による「復興まちづくり計画」の検討会がスタートした。メンバー約20人が3班に分かれ、まちづくりの方針や土地利用について議論。田老地区民は、新たな「100年の大計」をどう描くのか。人ロ減少は津波前からの地域課題。津波防災を再構築しても、数十年後、住民がいなくなれば防潮堤も街も「遺跡」と化してしまう。 復興計画策定は、地域の構造的問題の解決や将来を見越した視点が必要だ。問題を置き去りにすれば元に戻るだけの復旧に終わり、復興とは言えない。「真の復興」の主人公は住民。「どのようなまちにしたいか」の主体的議論が求められる。一方で、国は資金的、人的支援で市町村の復興を強力に後押しするべきだ。 ■【再興への道】いわて東日本大震災検証と提言 第5部復興計画 9)平野復興相インタビュー 各市町村に人的支援 @岩手日報(2011.11.1) 津波による犠牲者を二度と出さず、人口減少や高齢化、産業の衰退など被災地が抱える課題を克服する新たなまちづくりをどう進めるか。平野達男復興対策担当相に聞いた。 (土地利用計画策定の前提となる防潮堤の高さが、国主導で決まった印象があるが?) 今回の震災の最大の教訓は、構造物に依存した津波対策には限界があるということ。避難を含めた総合防災が重要だ。その実現には、国として一つの考え方を通さねばならない。だが、なぜその高さになったのか説明が必要。基本部分の議論が住民に伝わっていなかった。 (新たなまちの姿を決めるのは地域か国か?) 最終的に住民が決めなければならない。しかし、複雑な権利調整など乗り越えるべき多くの壁があり、市町村のマンパワーは圧倒的に不足。国は今後、市町村や県に多くの職員を送り、同じ現場でパートナーとして取り組む。 (単に元に戻すだけではなく、被災前より優れたまちづくりを進めるために、留意すべき点は何か?) 将来の人口推計を誤らないこと。将来のまちの規模を誤れば立派な建物を造っても空き家ぱかりになりかねない。高齢化もしっかり想定すべきだ。 (復興に向けた当面の課題は?) とにかく権利調整が大変。皆が膝を突き合わせて何度も話し合うしかない (終わり) |
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