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【私の視点】 市民主体の復興 避難区域に応じた支援を 福島県南相馬市長 桜井勝延...

■題 名 【私の視点】 市民主体の復興 避難区域に応じた支援を 福島県南相馬市長 桜井勝延
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(朝日)
■概要 . 9月30日、福島第一原発から20〜30キロ圏を対象にした緊急時避難準備区域が解除された。これを受け、南相馬市では、閉鎖していた学校や福祉施設が再開に向けて動き出している。私は原発からの距離に基づく同心円での区域指定に疑問があった。飛散した放射性物質は、地形や気象条件により広がっている。それでも政府は距離での指定にこだわった。
 市は7月に住民の帰還計画をつくり、戻って来る人にはそのための支援をしていくことにした。政府が区域解除の方針を示した8月上旬、区域内の居住人口は元の6割程度に回復していた。その時点で戻れる人は戻っているという状況だったのだ。ただ、小さな子どもを抱える親にとっては、安心して暮らせる環境だとは今も言い難い。震災3年までに8割以上の人が戻って来られればいいと思っている。
 南相馬市は、避難区域の設定で市域が5種類に区分けされた。原発から20キロ、30キロの同心円線は、2006年に合併する前の旧3市町の境界線とほぼ重なる。区域指定の分断により住民感情に隔たりが生まれ、合併前の旧市町に戻ってしまったような印象さえある。除染はもちろん、経済活動や雇用を含む生活環境を震災前に戻すため、国などは財政面も含め責任をしっかりと果たすべきだ。区域に応じた支援が必要だ。
 南相馬市の災禍は原発事故だけではない。震災と津波による死者・行方不明者は646人にのぼる。犠牲者の慰霊と遺族のケアに目を向けないかぎり、市全体の将来像は描けない。
■タグ 朝日 私の視点 コラム 南相馬市 桜井勝延 緊急時避難準備区域 住民帰還 帰還計画 警戒区域
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