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【東日本大震災8か月特集】 高台移転地に津波 釜石市小白浜地区 / 山と谷集落明暗 釜...
■題 名 | 【東日本大震災8か月特集】 高台移転地に津波 釜石市小白浜地区 / 山と谷集落明暗 釜石市本郷地区 / 被災2戸「吉浜の奇跡」 大船渡市吉浜旧本郷地区 | ||
■日 付 | 1899年12月31日 | ■大分類 | 新聞等(読売) |
■概要 | . 岩手、宮城両県では、明治三陸地震(1896年)や昭和三陸地震(1933年)でも津波に襲われた後、計100か所以上で高台移転が行われた。その決断が奏功し、今回の津波から守られた例もあるが、移転地なのに浸水したケースも多い。生活や仕事の都合で低地に戻ってしまい、再び被災した所も。過去の事例とその後を検証し、高台移転の教訓を探る。 ◇高台移転地に津波 海抜18メートル「まさか・・・」 釜石市唐丹町小白浜地区 地区の犠牲者は2人(ほか2人が地区外で死亡)。住宅は低地に40戸余、高台に約180戸があったが、低地は壊滅し、高台でも約60戸が浸水した。この60戸は明治、昭和の津波で移転してきた家が多く、戦後などに高台を山側に拡張した地区は浸水を免れた。 国土地理院の報告書によると、小白浜では明治三陸で14.6メートル津波が押し寄せた。集落では、義援金を元手に約200メートル離れた高台(海抜約18メートル)に移転したが、明治三陸から17年後の1913年、山火事で移転先が焼失。高台は水の便が悪いため「また山火事が起きると危険」と、多くの家が低地に戻っていった。山火事から20年後の昭和三陸では、11.6メートルの津波で死者・不明者数人、住宅の流失・倒壊も100戸以上に及んだが、明治三陸で移転した高台に残った住宅に被害はなかった。このため、県と唐丹村(当時)が山を切り崩して高台を拡大。低地から約100戸が移転し、水道も整備した。 しかし、当時の小白浜港には漁船のほかに木材や米を積んだ船も頻繁に来航し、復旧・復興の作業員も多かった。このため、昭和三陸の1年後には浸水地に居酒屋や商店が建ち始め、住宅も増えた。戦後は、津波を知らない新住民も移り住み、結局、被災前と同じような集落になったという。 ◇山と谷集落明暗 高さ11メートルの防潮堤無力 釜石市唐丹町本郷地区 高台の中腹を走る道路より山側の集落は、震災などなかったかのように住宅約80戸が広がっている。一方、道路から下の谷側の集落は約60戸が津波にのまれた。移転のきっかけは1933年の昭和三陸地震津波。住民613人のうち半数以上の328人が死亡。「岩手県昭和震災誌」によると、県は復興計画を策定、山林を切り開いた。米5キロが約1.8円で買えた当時、工事費など1万9458円をかけ、101戸分の宅地を造成。1戸あたり平均300円を貧し付けた。海岸付近の浸水地も防潮林や畑、漁業用の納屋などに転用された。 高台移転にこだわったのは、同地区が1896年の明治三陸地震津波で14.5メートルの波に襲われ、873人のうち9割の769人が死亡したのに移転構想が頓挫し、昭和津波で悲劇を繰り返したからだ。三陸の津波と集落変遷をまとめた「津浪と村」(山口弥一郎著)などによると、明治津波後、古老が山への移転を勧めたにかかかわらず住民らは漁に不便だと応じなかった。イカの豊漁が数年間続いたことも移転の機運をそいだとされる。 過去2度も浸水被害のあった谷側では、1965年頃から新たな住宅建設が相次いだ。郷土史を研究する新沼さん(74)は「高台の造成地は限られ結婚などで分家する住民には、浸水域にしか土地がなかった」と指摘する。さらに60年のチリ地震津波の後、高さ11.8メートルの防潮堤が築かれた。谷側に住んでいた本郷町内会長の小池さん(64)は「高台を新たに造成するのはお金がかかり、非現実的だった。浸水域だとは分かっていたが、防潮堤もあるし、大丈夫だと思っていた」と無念そうに語った。 ◇被災2戸「吉浜の奇跡」 低地は水田利用 大船渡市三陸町吉浜旧本郷地区 明治、昭和の大津波を機に高台移転して以降、低地に住宅が建つことはなかった。今回の震災で高さ約17メートルの津波が防潮堤(7メートル)を越えて浜から1キロ付近まで駆け上がったものの、死亡・不明は低地にいた1人、住宅被災も2戸で、関係者の間では「吉浜の奇跡」と言われている。 三陸町史によると、旧吉浜村では明治三陸の津波で204人が死亡、36戸が流失・全壊。当時の村長が海抜10メートル付近に道路と宅地を整備し、約30戸が移転。残る家もさらに高い土地に移ったという。しかし、昭和三陸の津波でも移転先が浸水し、17人が死亡、15戸が流失・全壊。中心道路を海抜16〜18メートルとさらに高所へ移し、約30戸が道路周辺に引っ越したという。 高台移転した漁師らが「漁に不便」などと浜近くに戻るケースもある。だが、吉浜の漁師は海まで1〜2キロの道を長さ約5メートルのさおを担いでアワビ漁に通った。昭和三陸後、村が浸水地を買い上げ、水田に整備して住民に分配した。半農半漁が多かった吉浜で「低地に家を建てようとしても農地転用に1〜2年かかる。それなら空いている高台にってことになる」と漁師は説明する。 |
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