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【再興への道】 全戸移転で真の復興 新潟県中越地震・小千谷十二平集落の取り組み...
■題 名 | 【再興への道】 全戸移転で真の復興 新潟県中越地震・小千谷十二平集落の取り組み | ||
■日 付 | 1899年12月31日 | ■大分類 | 新聞等(岩手日報) |
■概要 | . 新潟県小千谷市東部の十二平集落(11世帯41入)は、2004年10月の新潟県中越地震で唯一全戸集団移転を行い、復興とともに人口減少や少子高餉化による集落の消滅を回避した例として知られる。 ◇被災状況 全戸全壊、道寸断で孤立 新潟県中越地震で十二平集落は震度6強を記録し、11世帯の家屋か全て全壊。道路が至る所で寸断され集落は孤立。震災翌日、全員がヘリで避難した。余震の多発と土砂ダムの発生などで避難指示・勧告が続いたため、許可がなければ集落に戻れなくなった。 ◇移転決意 地域のリーダーが先導 十二平集落の住民は、市中心部の体育館に避難。地震発生翌月の2004年11月ごろから、鈴木悛郎さん(72)ら集落のリーダーたちが集団移転の可能性について相談を始めたという。▽平地でありながら比較的十二平に近い▽大型商業施設が隣接▽土地所有者と面識がある--などの理由から、既に三仏生地区が有力な移転候補地に挙がっていた。 協議は鈴木さんら地域のリーダーが先導し、市は実質的に住民の決断を追認する形で防災集落移転促進事業の実施を決めた。十二平集落のほど近くにあった小芋川集落が1981年に集団移転しており、その経緯を協議に加わったメンバーが知っていたことや高齢化や世帯数の減少で住民の多くが「機会があれば離村したい」と考えていたことが集団移転の議論を促した。 ◇集団移転 国の事業や義援金活用 国の防災集団移転促進事業を活用。事業主体の市に対し、移転1戸当たり1655万円が補助され、移転地の用地取得や造成費のほか、住宅建設や土地購入の借入金の利子補給費や住居移転助成費などに活用された。 資金は、義援金や生活再建支援金のほか、復興基金からの補助も行われた。また、十二平集落は全世帯があらかじめ地震保険がセットになった農業の建物更生共済に加入していた。全世帯が住宅ローンを抱えていなかったこともあり、住宅建設費用が2500万円以下だった6戸は、新たな借金をせずに住宅再建を果たせた。三仏生地区に隣接する干谷地区の集団移転地には災害復興住宅も建設された。 ◇移転後の動き 跡地で農業、石碑も設置 集団移転に伴い、十二平集落は災害危険区域に指定され住宅建設が規制された。しかし、農地や養鯉池などは復旧し、住民たちは春から秋にかけ、ほば毎日集落まで通う「通勤農業」を営んでいる。 集落の2ヵ所に「ここはじょんでえら(ここは十二平)」と記した石碑を設置したほか、各世帯の家があった場所にもそれぞれ石碑を置いた。 (十二平集落の集団移転経緯) 2004年 10月23日 新湯県中越地震発生 12月3日 新潟県が防災のための移転関連事業説明会開催 2005年 2月9日 小千谷市が住宅移転に関する説明会開始 3月7日 小千谷市が十二平集落の住民を対象とした説明会を開催 3月10日 十二平町内会が集団侈転の方針を固め、市に要望書提出 4月28日 十二平町内会が市に移転先(三仏生)の要望書提出 5月26日 集団移転先を三仏生に決定、記者発表 6月9日 集団移耘用地造成計画脱明会 6月24日 集団移転地の農地転用申請 7月20日 集団移転先の農地転用許可、用地売買に関する覚書交換 8月29日 防災集団移転促進事業計画書提出 9月21日 国土交通省が防災集団移転促進事業計画に同意 10月11日 集団移転用地売買契約締結 10月13日 集団移転用地造成工事発注 12月27日 十二平地区、災害危険区域指定 2006年 3月29日 集団移転用地造成工事完了 3月31日 集団移転用地売買契約書締結 6月 集団移転用地に最初の住宅が完成 2007年 3月 集団移転地に最後の住宅が完成し、集団移転完了 |
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