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【時代の風】 五百旗頭真 防衛大学校長 ボールは被災自治体へ...

■題 名 【時代の風】 五百旗頭真 防衛大学校長 ボールは被災自治体へ
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(毎日)
■概要 . 「率直に言って遅すぎる」と、去る11月10日の復興構想会議において、私が議長として発言したことは報道された。他方、政府が当会議の報告書を誠実に実施案に組み入れていると評価した部分は、報道されなかった。
 報告書「悲惨のなかの希望」は、省庁のお役人が作成したものではない。会議での激しい議論を踏まえながら、御厨貴議長代理1人の筆で起草したものであった。復興に向かう国民的な志や考え方は肝要であるが、他方、合理的で実施可能な政策を示さなければ、よき復興構想とはならない。この面で検討部会の役割が大きかった。
 6月末に復興構想が完成した後の進展は、次のように期待された。7月は政府が「基本方針」を作成する。8月ないし9月には、国会が復興予算と関連法を成立させ、秋が深まる頃には被災地につち音高く復興需要が始まる。
 7月はその通りに進んだ。各省庁が作案に参加していたので、具体案に落とすのはスムーズであった。ただ1点「高台移転」の語が消えたのが気がかりであった。膨大な移転費を当局が恐れ、撤退を始めたのではないか。それは10月に至って杞憂であることが分かった。移転費を全額国費で賄うとの報告を受けた。8月は菅政権から野田政権への移行に使われ、9月から11月まで与野党の調整に費やされた。構想の具体的実施に一定の時間がかかるのは当然である。ただ、ともすれば政局を最優先する政界の性が頭をもたげかねない。これ以上の漂流は許されないという思いが、冒頭の私の発言を生んだ。
 幸いなのは、復興構想がほぽ誠実に実施案となり、今を生きる世代により被災地を支える方針が曲がりなりにも守られたこと、公明党のように被災者への思い入れの深い野党が存在したこと、野田政権が党内の和解、野党との協力の環境醸成に努めつつ、復興を進めていることである。
 この度は阪神淡路に比して大きく異なるところがある。第一に、復興構想についてのまとまった報告書はこの度が初めてである。第二に、阪神淡路では国費を使えるのは復旧までであった(後藤田ドクトリンと呼ばれている)。第三に、前回、地元が切望した「特区」を政府は許さなかった。第四に、高齢化や再生可能エネルギーなど社会の構造的変化を読み込んだ復興を求めている。第五に、日本国民が被災地と連帯し、増税をもって復興を支えるのは史上初めてである。
 政治が遅ればせながらも復興の本格化のため、成すべきを成したとなれば、ポールは現地の自治体に渡される。まちづくりや産業復興についてのよき合意を地元が早く作ることを切に希望したい。
■タグ 毎日 時代の風 コラム 五百旗頭真 東日本大震災復興構想会議 悲惨のなかの希望 阪神大震災
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