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【魚の町から石巻復興物語】立ちはだかる壁 (上)加工業復活ライバルと / (中)人材、がれ...

■題 名 【魚の町から石巻復興物語】立ちはだかる壁 (上)加工業復活ライバルと / (中)人材、がれき撤去へ / (下)住まい再建いつ
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(日経)
■概要 . 工場再開、再就職、暮らし再興・・・。その過程には様々な壁が待ち受ける。宮城県石巻市でも、捨てざるを得ないプライド、守るべき実利の間で思いは揺れ動く。

■魚の町から石巻復興物語 立ちはだかる壁 (上)加工業復活ライバルと 国の支援実態映さず @日経新聞(2011.11.30)
 「(魚の加工を)人に見られるのは抵抗があるんだ」。生鮮加工会社「布施商店」の工場長、松浦さんは近くの運送会社の建物で再開した「共同加工場」の悩みを打ち明ける。企業秘密が漏れかねないとの危惧を抱く。広さの問題もあり、扱える量は震災前の3分の1で、約40人いた従業員も10人。新たに加工用機械を入れ、共通工程は片方の業者が請け負うか、時間を業者ごとに区切ることでクリアするが、秘密保持にはついたて設置など検討事項は多い。
 冷凍技術、包装、味付けなどを競い合って全国有数の水産都市に成長してきただけに、共同加工場を敬遠する声は強かった。「今はライバルが協力して復活する方法を考えなければ」。魚市場買受人協同組合の理事長でもある同社社長の布施さんは苦悩の末の決断を語る。
 共助の一方で「壁」の存在も目立ってきた。「1次補正は機器類のみ。2次は建物の修繕もOK」。費用の3分の2が受けられる水産庁の「共同利用施設」の補助金は被災地の実情を無視した枠組みだった。満潮時に浸水する水産加工団地のかさ上げは、今月21日成立の3次補正でようやく可能になる。かさ上げの完了後に建物を完成させてこそ、機器類を入れることができるのだが。
 すぐに消費者へ届ける鮮魚と違い、石巻が得意とする水産加工業は大型冷蔵設備が欠かせない。「小池産業」社長の小池さんは他の設備より先に容量約2500トン、マイナス30度の営業用冷蔵庫を修理、9月中旬に再開させた。冷蔵庫なしに加工業は復活しない。だが、ここでも制度の不自由さが行く手に立ちふさがる。支給される補助金は「後払い」。まずは全額を自力で捻出する必要がある。補助金が来るのはいつになるかは分からない。震災前から借金を抱える会社が多く、融資への不安も大きい。
 魚市場は今月、漁港本港に仮設の荷さばき場3棟が完成し、応急テントから移転。運営会社「石巻魚市場」社長の須能さんは「加工会社が戻れば、受け入れられる魚の量も増える。一歩前で用意しておくのが市場の役目」と話す。様々な困難を前に、魚の町の両輪が支え合う。

■魚の町から石巻復興物語 立ちはだかる壁 (中)人材、がれき撤去へ 水産の人手不足深刻 @日経新聞(2011.12.1)
 「働き口がないといわれているのに、まさかこんなに人が集まらないとは・・・」。山田水産(本社・大分県佐伯市)の石巻事業所長で常務の岡田さんは、被災地の労働市場の異変を強く感じている。震災後も従業員約80人全員の雇用を続け、9月に工場を再開した。再出発で業務が増えるため、約10人を増員しようと7月、求人を出したが、9月末までに応募は1人。手を尽くして7人を確保したのがやっとだった。
 同事業所で包装資材の発注などの事務に従事する雁部さんが働き始めたのは10月になってから。高校卒業後、別の水産加工会社に就職するはずだったが、震災で内定が取り消された。5月からハローワークに通い、約10社を受けたがほとんど履歴書の段階で落とされた。「経験者優遇という求人ばかりで焦った」。
 しかし、皮肉にも地域が期待するベテランは復興事業に取られ、早期回復への足かせとなっている。がれき撤去の日給は1万2千〜1万5千円と高騰。水産加工業の賃金水準は高いとはいえず、失業給付や義援金で生活をつなぐ人たちを呼び戻せない。事業再開した水産加工会社からは「復興事業や失業給付の延長などが、足を引っ張っている」との声すら上がる。

■魚の町から石巻復興物語 立ちはだかる壁 (下)住まい再建いつ 年の瀬、計画定まらず @日経新聞(2011.12.2)
 石巻市湊地区の衣料店と自宅を津波で失った及川さんは市職員の説明に肩を落とした。「道路や堤防の範囲に入る方は用地にご協力いただきたい。お願いするのは再来年度です」。市が地権者に整備計画を示したのは11月24日。石巻漁港の北側に広がる湊地区は、大半の家屋が津波で全壊。市は11月になって「震災復興基本計画」の素案を作成。住民との意見交換会や地権者への説明会を開いている。公共施設などにかかる土地は買収されるが、測量や設計に時間がかかる。多くの被災地が抱えるジレンマだ。仮設の近くで家を探したが、震災直後の1坪約8万円から約15万円に上昇。津波被害の危険性のない内陸では「復興バブル」の様相を呈し、移転を難しくしている。
 「人が住めないと誰が決めたのか」「地権者の意見を聞いていない」。11月17日、旧北上川を挟んだ湊地区の対岸の南浜地区住民らが集まった意見交換会。公園となる計画に激しく反発、質疑応答は約1時間長引いた。市は5月の住民アンケートを基に土地利用を検討。津波被害が深刻だった南浜地区に戻りたいと答えた人はわずか2割。市復興対策室の星雅俊室長は、どこにいつ住めるかや買い取り価格も示せていない実情を認めた上で、「時間の経過とともに気持ちが変わる人が多いのではないか」と分析する。それでも、「将来のために危険な区域には住宅を建てない」という部分は譲れない。
 区画整理などの対象から外れた地域では、徐々に自宅を新築、修繕する人が増えている。湊地区の佐々木さん夫妻は10月に自宅を修繕した。知人の大工に「いつ工事に入れるか分からない」と言われて困っていたところ、東京からボランティアで訪れていた1級建築士、小林さんと出会い、最低限の修繕を依頼した。小林さんは「多くの人は義援金や保険の範囲でしかお金がない。業者不足も深刻」と話す。
■タグ 日経 コラム 石巻復興物語 石巻市
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