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福島 川内村が帰村宣言 役場4月再開「2、3年で戻って」...

■題 名 福島 川内村が帰村宣言 役場4月再開「2、3年で戻って」
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(読売)
■概要 . 原発事故で役場や住民のほとんどが避難した福島県川内村の遠藤雄幸村長は31日、「帰村宣言」を行った。村役場や学校、診療所などを4月から村内で再開させ、除染を進めることで住民の帰還を促そうというもので、遠藤村長は「2、3年かけて戻ってもらえれば」と見通しを語った。
 原発事故で役場機能を移した9町村の中で、元の場所に役場が戻るのは川内村が初めて。現在、役場機能があり、仮設住宅などで多くの村民が暮らす同県郡山市には4月以降も窓口機能を残す。
 村は現在、警戒区域と旧緊急時避難準備区域に分かれている。約3000人の村民のほとんどが県内外に避難。緊急時避難準備区域が昨年9月に解除された後も帰還したのは200人余にとどまっている。
◇帰村宣言「出発点」 福島・川内村 除染厳しい現実 警戒区域「帰れない」
 「あくまでも宣言はスタートライン」。福島県庁で31日、原発事故で避難している村民に向けて「帰村宜言」をした川内村の遠藤雄幸村長は、役場が率先して戻った上で環境を整え、住民の帰還を待つ考えを示した。4月から学校も再開するが、村の一部は警戒区域にかかっており、「全村帰還」には除染など多くの課題が残る。「まだ帰れない」。住民からは厳しい現実へのうめき声も漏れる。
 「自分も含め、まだ帰りたくない人が大半」と語るのは3区区長の猪狩さん。独り暮らしの高齢者が多く、「店が再開しないと、車がないお年寄りは食べるのにも困る」。2区区長でコメ農家の渡辺さんは、今年のコメの作付けは村の方針で見送られるため、「慌てて戻ってどうするんだというのが農家の声だ」と語った。全域が警戒区域の8区区長・小林さんは「私たちは帰れない」とため息をついた。「除染などを早くしないと帰らないという人はどんどん増える」と訴えた。
■タグ 読売 川内村 住民帰還 役場機能 除染 警戒区域 緊急時避難準備区域
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