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【論説】 野田村の集団移転 目に見える復興の意義...

■題 名 【論説】 野田村の集団移転 目に見える復興の意義
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(岩手日報)
■概要 . 野田村の集団移転計画が、県内の被災市町村に先駆けて進んでいる。「目に見える」復興の形という点で、野田村が取り組む集団移転計画のスピード感を評価したい。
 同村は昨年11月、中心部を高さ14メートルの第1堤防、三陸鉄道と国道45号による第2堤防、さらにその内側に第3堤防を建設して守る復興計画を正式に決定した。さらに、県内に先駆けて独自に被災した土地の鑑定評価を実施し、被災者に提示した。復興に向けて最も基礎的な資料を被災者に提示したことが、早い移転計画の進展に結びついた。
 新たな問題も浮上している。村は第3堤防と国道45号の間の地域は災害危険区域とする一方、第3堤防と村役場の間の城内地区では都市再生区画整理事業を実施する。災害危険区域から移転する場合は自力再建か災害公営住宅に移るか選択できるが、区画整理事業の場合は災害公営住宅に移る選択しかできない。同じ地域に住んでいた被災者が、事業内容の違いで選択の道を閉ざされるのは割り切れない思いだろう。被災者の希望に添う形で再建ができるよう、国は柔軟に対応すべきではないか。
■タグ 岩手日報 論説 野田村 集団移転 城内地区 災害危険区域 防災集団移転促進事業 都市再生区画整理事業
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■管理番号 No.03837


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