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【所論諸論】 復興に向けた「知」の融合 武村雅之 歴史地震研究会副会長...

■題 名 【所論諸論】 復興に向けた「知」の融合 武村雅之 歴史地震研究会副会長
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(建設工業)
■概要 . 三陸沿岸地域は津波常襲地帯と呼ぱれてきた。明治29年6月15日、大津波によって2万人以上の犠牲者が出た。さらにその37年後の昭和8年3月3日にも再度の大津波で、やっとのことで復旧した村々が再び壊滅的な損害を受けた。
 当時の地震学者の今村明恒らは、地元の岩手県庁や現地の村々を訪れて高地移転の必要性を説いて回った。今村明恒は地元の人々に対して次のように述べたという。「三陸沿岸は津波の常襲地として日本一はおろか世界一である。にもかかわらず度重なる災害を防止しえなかったのは文明人の恥辱である。明治29年の津浪が最高ではなく、慶長の大津波はもっと高かったのであるから、防波堤を過信すべきではない。人びとの犠牲を防ぐ最も安全な方法は何といっても住宅を高い所に移すことである。住宅の高所化を警告しなかった学者にも、そのまま放任しておいた当局にも責任はあるが、自衛手段をとらなかった居住者の不覚もある」「住宅の高地移転は百世にわたる仁政である」この言葉はそのまま今回の復興にも当てはまる。
 今回の津波がもたらしたもう一つの教訓は、津波は海岸平野でも大きな脅威となり得るということであった。日本の大都市のほとんどが海岸平野にあることを考えると、襲来が懸念されている東海・南海地震の津波に対してもこの問題は切実である。
 仙台平野の南部にある亘理町を例にとれば、海岸付近での波の高さは5メートル以上で海岸近くの木造住宅は基礎だけを残して多くが流失していたが、海岸から1キロメートルも離れると2階建ての新しい木造住宅の多くが立っていた。また、海岸部にある松の防潮林は、前面がなぎ倒されていても後方では残っている木も多く、津波の勢いを和らげる役割を果たしたようである。
 被災地ではこれから復興という難問が待ち構えている。このような難問の解決には様々な分野の研究者や技術者の意見を集約することが必要で、一つの枠組みの中で実行的に「知」の融合が図られなければならない。こんな時には、独自性の主張よりも他と協調して大局を把握することが必要とされる。
■タグ 建設工業 所論諸論 コラム 武村雅之 今村明恒 高台移転 海岸平野 防潮林 知の融合
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