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【所論諸論】 被災後の現場に立って 木下誠也 愛媛大学防災情報研究センター教授...

■題 名 【所論諸論】 被災後の現場に立って 木下誠也 愛媛大学防災情報研究センター教授
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(建設工業)
■概要 . 防潮堤等の防災施設が全く無駄であったかのような報道もあるが、果たして本当に機能しなかったのだろうか? 
 岩手県北部の洋野町は海面からの高さ12メートルの防潮堤を整備していたため、内陸側はほとんど被害を受けなかった。普代村は高さ15・5メートルの水門と防潮堤に守られほとんど被害がなかった。
 一方、野田村では8メートルから12メートルへの防潮堤の嵩上げが終わっていなかったため、海から約1キロメートル離れた村の中心部まで襲われていた。宮古市田老には高さ10メートルの防潮堤があり、1960(昭和35)年のチリ津波に対して効果を発揮し称賛されたが、今回は津波が総延長2・4キロメートルに及ぶ二重の堤防まで乗り越えて壊滅的被害となった。
 今後、堤防の整備をどのようにすべきか。水際の堤防だけで際限のない自然の力に対抗することには限界がある。越流しても壊滅的被害を防止する観点が必要である。また、道路を盛り土したり、町を一部嵩上げして堤防の機能を持たせたり、あるいは計画的に避難用の高層ビルを建築するなど、まちづくりとあわせて防災施設を整備するという新たな発想が必要だろう。堤防などの防災施設がどのように機能したかなど、正しい事実を把握し、誤解のないよう世の中にきっちりと伝えていこう。
■タグ 建設工業 所論諸論 コラム 木下誠也 防潮堤 盛土 かさ上げ 津波避難ビル 防災施設
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