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【日本を創る 復興への道 第1部-(1) 】構想と現実 元の場所か高台か 再建へ割れる意見...

■題 名 【日本を創る 復興への道 第1部-(1) 】構想と現実 元の場所か高台か 再建へ割れる意見 高齢過疎化課題重なる
■日 付 1899年12月31日 ■大分類 新聞等(岩手日報)
■概要 . 各地で復興への模索が始まった。東北の地を興し、新しい日本を創るための手掛かりを探る。

 福島県三春町に県内の2町村が役場ごと引っ越す。警戒区域にある富岡町と計画的避難区域の葛尾村。3町村が併存するのは「極めて異例な事態」(総務省)だ。三春町は15カ所に770戸分の仮設住宅用地を確保。1万8千人の人口は、1割ほど増える計算だ。ゴミ処理の受託など「やれることは何でもやる」(鈴木義孝町長)だが、親族や世帯構成を把握しなければならない高齢者の介護など手が出せない分野もある。

(国の縮図)
 「移転に何年かかるのか。それまで待てない。早く元の場所に家を建てたい」。大船渡市で20日に開かれた懇談会。高台移転案を示した市側に対し一人の男性がいら立ちをぶつけた。「浸水地域に家を建てないでほしいが強制力はない。早く復興計画を立てるので理解してほしい」。市の担当者は苦渋の表情を浮かべた。市の調査によると、自宅が被災した人の40%が高台移転を希望。元の場所に残りたいと答えた人も31%に上り、意見は割れた。
 宮城県女川町。町が7漁村を1カ所に集約する案を示し、各漁村から反発が噴出した。安住宣孝町長は「個々の漁村の世帯数は少ない。10年、20年後を考えたら本当に浜ごとでいいのか」と反論。候補地を3か所に増やして再考を促すが、合意形成の見通しは立っていない。
 65歳以上の高齢者の割合は全国平均で23%だが、大船渡市は31%、女川町は34%。05?10年の人口減少率も6%以上だ。高齢化や過疎化が進む被災地は、いわば日本の「縮図」。復興の成否は日本の将来を占う。

(記憶の風化)
 日本は大津波で多くの犠牲者を出してきたが高台移転は進まなかった。1944(昭和19)年12月の東南海地震。三重県大紀町の錦地区。家屋682戸が全半壊、64人が犠牲になったが集落は低地で再生した。住民の大半は漁師。山が集落に迫る地形で高台がなく、新たな宅地を開発する余力もなかった。98年には高さ22メートル、500人収容の避難塔を1億3900万円で建設した。一方、避難訓練への参加は低調だ。昨年は住民約2200人のうち約400人にとどまった。今回の震災当日の避難者はわずか259人。港に津波を見に行った人が多かったという。
 93年北海道南西沖地震。奥尻町青苗地区では、車のない漁師や高齢者が「港近くに住みたい」と訴えたが、低地は地盤のかさ上げに時間がかかると高台を選んだ漁師も多かった。約190億円の義援金の一部を使い、青苗地区の被災した住宅地を一括して買い上げた。岬周辺の約60戸は高台に移転。旧住宅地は土地を3メートルかさ上げし、180区画に整理して分譲した。小さな漁師町は、高さ約6メートルの「人工地盤」と呼ばれる避難用の広場を整備した港、土盛りした旧住宅地、高台地区という「3層構造」に姿を変えた。
 しかし時がたつにつれ新たな問題が浮上した。人口は減り続けた、義援金は数年で底をつき、復興事業の負債がのしかかった。高齢者が亡くなり、旧住宅地にも空き家が出始めた。住民からは「ゴーストタウン化」を懸念する声が聞こえる。
■タグ 岩手日報 日本を創る復興への道 三春町 富岡町 葛尾村 仮設住宅 大船渡市 高台移転 女川町 津波避難タワー 人工地盤 大紀町 錦地区 避難所 避難路 津波避難タワー 避難訓練 奥尻町 青苗地区
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